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お気に入りフレーズ・沢木興道『坐禅の仕方と心得』

沢木興道 『坐禅の仕方と心得』 附・行鉢の仕方 121p.「六 五観の偈 一つには功の多少を計り彼の来処を量る。 二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。 三つには心を防ぎ過を離るることは… 四つには正に良薬… 五つには… 五観の偈は食事の時に読むから、ただ食事だけのものだと考えやすいが、これは衣、食、住の三つに通ずるものであって、さらにこれを単に口唱するに止まらずして、深く念想観察すべきものである。一膳の食物に対して運ぶ感謝の気持ちは、直ちに一枚の衣の上にそそがれる感謝の心でなければならない。」 Wikipedia>  https://ja.m.wikipedia.org/wiki/沢木興道 Google 検索>  https://www.google.com/search?q=沢木興道 五観の偈 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/五観の偈 キーワード『禅』 (雑誌_index1)> https://magazineindex1.blogspot.com/search/label/禅

お気に入りフレーズ『土を喰らう日々』

『土を喰らう日々』 —わが精進十二ヵ月— 水上勉著 新潮文庫 12p.〜 くわいを焼くのは、この頃からのぼくのレパートリーだった。…ぼくは、よく洗って、七輪にもち焼き網をおいて焼いたのだった。…いまのテレビ番組の料理など、めったに見ないものの、時に目に入って驚くことだが、くわいなども、くわいなども皮は包丁でむかれる。…しかも、くわいでもっとも、にがみもあって、甘みのある皮にちかいあたりが捨てられるととあっては、もったいないのだ。…これでは芋が泣く。というよりは、つい先ほどまで、雪の下の畝の穴にいたのだ。冬じゅう芋をあたためて、香りを育てていた土が泣くだろう。   米を淘り菜等を調ふるに、自ら手づから親しく見、精勤誠心にして作せ。   一念も疎怠緩慢にして、一事をば管看し、一事をば管看せざるべからず。   功徳海中一滴も也た譲ること莫かれ、善根山上一塵も亦積むべき歟。  道元禅師の「典座教訓」に出てくる文章である。…芋の皮一ときれだって無駄にすることは、仏弟子として落第なのだ。 30p.〜 老師は怒るふうでもなく、「いちばん、うまいとこを捨ててしもたらあかんがな」 といわれた。こういうことも道元禅師の次のようなことばとかさなるのである。   凡そ物色を調辦するに、凡眼を以て観ること莫かれ、凡情を以て念ふこと莫かれ。   一茎草を拈じて宝王刹を建て、一微塵に入って大法輪を転ぜよ。   所謂縦ひ莆菜羹を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。   縦ひ頭乳羹を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。   既に耽着無し。   何ぞ悪意有らん。   然れば則ち麤に向ふと雖も全く怠慢なく、細に逢ふと雖も弥精進有るべし。   切に物を逐うて心を変ずること莫かれ。   物を逐うて心を変じ、人に順って詞を改むるは、是れ道人に非らざるなり。   まことにきびしい。ほうれん草の葉もへたも同じなのである。どっちを尊び、どっちをさげすむことがあってはならぬと教えられてある。 74p.〜 …夏には褌ひとつで働いていた父が、弁当箱に味噌だけ入れて、山へ入り、山菜の類を収穫して、サイにしてぱくついていた行為は、真の醍醐味の顕現かと思いたくなる。ぼくが、さかしらに、他の人の弁当をの...

お気に入りフレーズ『道元「典座教訓」』

道元『典座教訓』 — 禅の食事と心 — 藤井宗哲訳・解説  角川ソフィア文庫 20p.〜 米をといだり、野菜を調理する時は、典座みずから、親切丁寧に仕事をしていくのは言うまでもない。寸心も疎かにせず、手抜きをしたり、怠ったり、心に緩みが生じて気を散らしたり、一つのことは密々にするが、他のことはいいかげん、というようなことがあってはいけない。功徳の大海は一滴ずつ寄り集まって広がり、善根の山も塵が積み重なって生じるのだ。だからこそ、一滴一塵も疎かにできない。 25p.〜  たとえば、今日は遠い所へ托鉢、遠鉢というが、そういう日には疲れて戻ってくるだろうから、三色揚げにするか。春菊、人参の湯葉巻き揚げ、豆腐のごままぶし揚げ。時には紅しょうがの薄衣揚げとか。これは夏場だけだが、雪の下を揚げたりもする。さっぱりとした天地の味で、案外評判がいい。 〜

お気に入りフレーズ『白隠禅師の気功健康法』

『白隠禅師の気功健康法』 — 新呼吸法「時空」実践のすすめ — 帯津良一著 佼成出版社 〜 111p.「虚空——白隠さんの真骨頂」  孟軻氏の謂ゆる浩然の氣、是をひきいて臍輪氣海丹田の間に蔵めて、歳月を重ねて、是を養て無適にし去て、一朝乍ち丹竃を掀飜する則は、内外中間、八紘四維、總に是一枚の大玄還丹。此時に當て初めて、自己即ち是天地に先つて生ぜず、虚空に後れて死せざる底の眞箇長生久視の大神仙なることを覺得せん。是を眞正丹竃功成る底の時節とす。 〜 「浩然の気」を臍下丹田におさめて年月を重ねると、いつしか内なる生命と時空を超えて広がる虚空、大いなるいのちが一体となって虚空いっぱいの大きな仙薬となってしまうというのです。 〜 218p.「“場”の本質」  そこで、まず身体も場の一つの形態と考えたらどうでしょう。私という生命場がこの地球にやってきて、ここで生活を可能にするためにエネルギー場の一部を割いて身体という目に見える存在をつくったのではないでしょうか。  そして、人間という場は環境という場の中の存在でもあります。人間は家庭、学校、職場、地域社会、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場の中に重複して存在しています。 〜  予感と直感こそ、虚空の大いなるいのちと内なる生命を繋げるものであり、あるいは無意識の世界と意識する世界を結びつけるものではないかと考えています。 〜 — —— —— —— —— —— 雑誌・キーワード『白隠』URL> https://magazineindex1.blogspot.jp/search/label/白隠

お気に入りのフレーズ『禅のこころ』

『禅のこころ』(その詩と哲学) 竹村牧男著 筑摩書房・ちくま学芸文庫 〜 165p. 仏について議論したり、単に禅定を修して無念無想を深めるよりも、もっと大事なことがある。それは、今、ここでおのずからなすべきことをなすということである。 〜 168p.『無事是れ貴人なり』 無事とは営為を用いないこと、何かをもとめてはからうことをしないことである。それは何もしないこととはちがって、自我に根ざす、一切のはからいを放下することなのである。…何ものも求めないあり方、求めないことも求めないあり方、そういう、凡夫の日常を超える日常に、覚者の全体作用が閃く。…否定の極みとして、はからわないことをもはからわない「そのまま」にあるとき、真実の自己は最も十全に己を生きることになる。それが臨済のいう、「無事是貴人」ということであろう。臨済はいう。「無事是れ貴人なり。ただ造作することなかれ、ただ是れ平常なれ」。ただそのままに生きることを愚者は笑うかもしれない。ただし、その無事の生は、たとえば「一日不作、一日不食」の生と決して異なるものではないはずである。 〜 竹村牧男 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/竹村牧男 春秋社・キーワード「 竹村牧男 」>  https://www.shunjusha.co.jp/search/?search_menu=keyword&tab=3&search_word=竹村牧男 映像・キーワード『禅』URL> https://moviesindex1.blogspot.jp/search/label/禅 雑誌・キーワード『禅』URL> https://magazineindex1.blogspot.jp/search/label/禅

お気に入りフレーズ『親鸞と道元』

五木寛之/立松和平 著『親鸞と道元』 (祥伝社) 219p. 「自分は大丈夫と思ってはいけない、私たちは、自分が絶対大丈夫と思っていても、いつファシズムになったり、人を殺したりするかもしれないんですから。」 262p. 「不謹慎な発言ですけれど、親鸞は、やつぱりあの世で仏になってもしょうがないと、心の底では思っているじゃないですか。」