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お気に入りフレーズ・沢木興道『坐禅の仕方と心得』

沢木興道 『坐禅の仕方と心得』 附・行鉢の仕方 121p.「六 五観の偈 一つには功の多少を計り彼の来処を量る。 二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。 三つには心を防ぎ過を離るることは… 四つには正に良薬… 五つには… 五観の偈は食事の時に読むから、ただ食事だけのものだと考えやすいが、これは衣、食、住の三つに通ずるものであって、さらにこれを単に口唱するに止まらずして、深く念想観察すべきものである。一膳の食物に対して運ぶ感謝の気持ちは、直ちに一枚の衣の上にそそがれる感謝の心でなければならない。」 Wikipedia>  https://ja.m.wikipedia.org/wiki/沢木興道 Google 検索>  https://www.google.com/search?q=沢木興道 五観の偈 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/五観の偈 キーワード『禅』 (雑誌_index1)> https://magazineindex1.blogspot.com/search/label/禅

お気に入りフレーズ『免疫力を上げる一生モノの「食べ物・食べ方」』

『免疫力を上げる一生モノの「食べ物・食べ方」』 田中愛子著 三笠書房・知的生きかた文庫 〜 27p.『「自分で自分の人生を幸せにしていく力」も身につく! 』 体を素朴な状態にしていると、自分にとっていらないものを教えてくれるようになります。 〜 37p.『体が冷えて“1億総半病人”の日本』 砂糖が体に入ると体は酸性に傾いてしまうのですが、それを本来の弱アルカリ性に戻そうとする力が働いて、その中和の過程で体内のカルシウムが使われるというわけです。 〜 44p.『全身が浄化される—「玄米リセット食」のすすめ』 メニュー3「鋼のような強い骨を作る【ごま塩】」 メニュー4「生きた乳酸菌が腸を健康に保つ【たくあん】」 ~ 88p.『こんなに簡単!「体を陽性にする料理」「体を陰性にする料理」』 (1)熱を加える (5)時間をかける ・これは『自然の調理』といってもいいでしょう。私たちが手を加えなくても、ただ時を経るだけで、自然は発酵の働きを利用して、食材を陽性に変えていってくれるのです。 ~ 269p.『整腸作用があり下痢止めになる「くず練り」』 くずは、昔から強化食品として、またおなかの調子を整える薬として、さらに飢餓のときは食料として、重用されてきました。 〜 とろみづけには片栗粉を使うご家庭が多いと思いますが、市販の多くはじゃが芋からとられたでんぷんですので、薬効はなく、くずに比べるととても陰性が強いものです。 〜 田中愛子:リマ・クッキングスクール講師> http://lima-cooking.com/staff/tanaka_aiko/ 故 田中愛子先生。 http://www.ci-kyokai.jp/tokusyu201807.html

お気に入りフレーズ:石牟礼道子『天湖』

石牟礼道子『天湖』 大活字本シリーズ〔上〕 270p.「薪と、  炭の焼ける山はある、蕎麦も唐黍も穫れる、茸も採れる。天底の者たちが、自分に足りるだけの暮らしをやってゆけば、先々のゆとりも生まれるにちがいなか。そのためには、水の筋の要めに当る沖の宮が大切と思うが、おひなさんどげん思う、と言いおらしたです。都会に出て、白飯食うて来た者も、いつかは、天底の五穀の味を思うじゃろう。白飯は躰にようはなか。神さまの声も聴えんようになるよ、都会人になつてしまえば。」 ———————— ニュース:『皇后さまもお別れ 「苦海浄土」の石牟礼道子さん』> https://newsindex1.blogspot.jp/2018/04/blog-post_15.html 週刊金曜日・追悼『石牟礼道子』> http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/002530.php

お気に入りフレーズ『土を喰らう日々』

『土を喰らう日々』 —わが精進十二ヵ月— 水上勉著 新潮文庫 12p.〜 くわいを焼くのは、この頃からのぼくのレパートリーだった。…ぼくは、よく洗って、七輪にもち焼き網をおいて焼いたのだった。…いまのテレビ番組の料理など、めったに見ないものの、時に目に入って驚くことだが、くわいなども、くわいなども皮は包丁でむかれる。…しかも、くわいでもっとも、にがみもあって、甘みのある皮にちかいあたりが捨てられるととあっては、もったいないのだ。…これでは芋が泣く。というよりは、つい先ほどまで、雪の下の畝の穴にいたのだ。冬じゅう芋をあたためて、香りを育てていた土が泣くだろう。   米を淘り菜等を調ふるに、自ら手づから親しく見、精勤誠心にして作せ。   一念も疎怠緩慢にして、一事をば管看し、一事をば管看せざるべからず。   功徳海中一滴も也た譲ること莫かれ、善根山上一塵も亦積むべき歟。  道元禅師の「典座教訓」に出てくる文章である。…芋の皮一ときれだって無駄にすることは、仏弟子として落第なのだ。 30p.〜 老師は怒るふうでもなく、「いちばん、うまいとこを捨ててしもたらあかんがな」 といわれた。こういうことも道元禅師の次のようなことばとかさなるのである。   凡そ物色を調辦するに、凡眼を以て観ること莫かれ、凡情を以て念ふこと莫かれ。   一茎草を拈じて宝王刹を建て、一微塵に入って大法輪を転ぜよ。   所謂縦ひ莆菜羹を作るの時も、嫌厭軽忽の心を生ずべからず。   縦ひ頭乳羹を作るの時も、喜躍歓悦の心を生ずべからず。   既に耽着無し。   何ぞ悪意有らん。   然れば則ち麤に向ふと雖も全く怠慢なく、細に逢ふと雖も弥精進有るべし。   切に物を逐うて心を変ずること莫かれ。   物を逐うて心を変じ、人に順って詞を改むるは、是れ道人に非らざるなり。   まことにきびしい。ほうれん草の葉もへたも同じなのである。どっちを尊び、どっちをさげすむことがあってはならぬと教えられてある。 74p.〜 …夏には褌ひとつで働いていた父が、弁当箱に味噌だけ入れて、山へ入り、山菜の類を収穫して、サイにしてぱくついていた行為は、真の醍醐味の顕現かと思いたくなる。ぼくが、さかしらに、他の人の弁当をの...

お気に入りフレーズ『The Art of Peace 』

『The Art of Peace 』 George Ohsawa(桜沢如一)、英訳:William Gleason、出版:1990年 1952年に“ Le livre du judo”(柔道の本)という原題でフランス語で書き下ろされた本。 Chapter 6 “ Morihei Ueshiba, Founder of Aikido” 〜  Ueshiba sensei forbade competition for the sake of determining superiority. The goal of aikido is to become aware of your own insufficiencies, of the transitoriness and ephemerality of human victory, of human weakness, and the insignificant foolishness of vanity. It is a philosophical and cosmological education for the purpose of becoming happy and free.  植芝は優劣を争う試合というものを禁じている。合気道の目的は、自分自身の未熟さを学び、この世の人間的勝利のはかなさを学び、人間の弱さ、人間のくだらなさを学ぶことにある。これは幸福で自由な人間になるための哲学的宇宙論的教育である。 (1994年に出版された安原久雄による日本語訳) 〜

お気に入りフレーズ『道元「典座教訓」』

道元『典座教訓』 — 禅の食事と心 — 藤井宗哲訳・解説  角川ソフィア文庫 20p.〜 米をといだり、野菜を調理する時は、典座みずから、親切丁寧に仕事をしていくのは言うまでもない。寸心も疎かにせず、手抜きをしたり、怠ったり、心に緩みが生じて気を散らしたり、一つのことは密々にするが、他のことはいいかげん、というようなことがあってはいけない。功徳の大海は一滴ずつ寄り集まって広がり、善根の山も塵が積み重なって生じるのだ。だからこそ、一滴一塵も疎かにできない。 25p.〜  たとえば、今日は遠い所へ托鉢、遠鉢というが、そういう日には疲れて戻ってくるだろうから、三色揚げにするか。春菊、人参の湯葉巻き揚げ、豆腐のごままぶし揚げ。時には紅しょうがの薄衣揚げとか。これは夏場だけだが、雪の下を揚げたりもする。さっぱりとした天地の味で、案外評判がいい。 〜

お気に入りフレーズ『白隠禅師の気功健康法』

『白隠禅師の気功健康法』 — 新呼吸法「時空」実践のすすめ — 帯津良一著 佼成出版社 〜 111p.「虚空——白隠さんの真骨頂」  孟軻氏の謂ゆる浩然の氣、是をひきいて臍輪氣海丹田の間に蔵めて、歳月を重ねて、是を養て無適にし去て、一朝乍ち丹竃を掀飜する則は、内外中間、八紘四維、總に是一枚の大玄還丹。此時に當て初めて、自己即ち是天地に先つて生ぜず、虚空に後れて死せざる底の眞箇長生久視の大神仙なることを覺得せん。是を眞正丹竃功成る底の時節とす。 〜 「浩然の気」を臍下丹田におさめて年月を重ねると、いつしか内なる生命と時空を超えて広がる虚空、大いなるいのちが一体となって虚空いっぱいの大きな仙薬となってしまうというのです。 〜 218p.「“場”の本質」  そこで、まず身体も場の一つの形態と考えたらどうでしょう。私という生命場がこの地球にやってきて、ここで生活を可能にするためにエネルギー場の一部を割いて身体という目に見える存在をつくったのではないでしょうか。  そして、人間という場は環境という場の中の存在でもあります。人間は家庭、学校、職場、地域社会、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場の中に重複して存在しています。 〜  予感と直感こそ、虚空の大いなるいのちと内なる生命を繋げるものであり、あるいは無意識の世界と意識する世界を結びつけるものではないかと考えています。 〜 — —— —— —— —— —— 雑誌・キーワード『白隠』URL> https://magazineindex1.blogspot.jp/search/label/白隠